「力づけられる」  06.09.03
            使徒言行録 18:18〜28

 「洗礼を受けている」ことは、人生を左右する大きな出来事です。
 洗礼を受けることで、主イエスが、私たちにしっかりとつながって
くださり、御自分のものとして愛の御手で包み込み、永遠の命へと
導いてくださることがはっきりします。救いの確信が与えられます。
 それゆえ、自分が洗礼を受けているという事実によって、支えられ、
希望を与えられ、力づけられます。

 第三回伝道旅行に出発したパウロは、生まれて間もない教会の
クリスチャンたちを力づけてまわりました。周囲からの厳しい目や
様々な誘惑の中で、揺らぐことの多い信仰生活を送っていたに
違いありません。では、どのように力づけたのでしょうか。
 「とにかくがんばれ」と、ハッパをかけたのではないでしょう。
 続けて、ヨハネの洗礼しか受けていなかったアポロや他の
人たちのことが記されていることから、主イエスの名による洗礼の
恵みに触れて力づけたに違いないと思います。
 19章に、ヨハネの洗礼を受けた人たちが登場します。
 パウロは、その人たちに「どんな洗礼を受けたのですか」と
言います。 「だれの中にどっぷりとつかっているのか」との問いが
込められています。
 ヨハネを通して、イエスさまのことを知っていました。
 しかし、イエスさまを指し示すヨハネという人間に身を委ねる
ところに留まっていたのでしょう。
 しかし、主イエスの名による洗礼は、神の御子イエス・キリストに
どっぷりと浸り、御子に包み込まれる洗礼です。
 洗礼を受けている事実と、その恵みを見失いたくありません。
 イエスさまが、取るに足りない自分をしっかり受け止めてくださって
いることを信じて良い。罪ある自分を赦し、一緒に生きていてくださる
ことを信じて良い。心も体も信仰さえも揺れる弱い自分を囲み、
支えてくださることを信じて良い。そうして、喜び、感謝、勇気、
生きる力が与えられます。
 嬉しい時、悲しい時、困難な時、不安な時、孤独な時に、
礼拝堂の洗礼盤を見つめながら、主イエスが自分に結び
ついてくださっている幸いを思い起こしたら良いのです。